國文學」1999年8月号第44巻10号
写真/ボディ・スコープ―光・ロゴス・記憶


木下直之 生写真の時代―島霞谷の写真アルバムから
吉増剛造 犯行現場=写真と寫眞
亀井秀雄 中野重治の写真・詩に触発されて
荒木経惟高橋世織 <対談>写真の感情―刹那/切なさ
亀山郁夫 錯視のポリティクス―ロトチェンコの遠近短縮法について
水沢勉  白鬚橋三題―一九三〇年代の視覚の問題から
塚原史  アウグスト・ザンダーベンヤミン
西成彦  ハーンと写真と明治天皇
川崎晴朗 築地精養軒とその光景―森鴎外「普請中」にふれて
山懸煕  視覚の体制・写真の体制と祝祭の記憶としての集合写真
建畠晢  ボードレールと写真批判
西昌樹  ヘルムート・ニュートン―挑撥する身体 ラガーフェルドにふれつつ
松澤慶信 ダンスと写真
永野宏志 盲者が一つ目機械を覗いてる―Evgen Bavcar "Le voyeur absolu"
小菅健一 「ロバート・メイプルソープ」の写真行為論 序説 <見えている>ものを<見る>ことをめぐって
金子隆一 印刷文化のなかの写真―その始まりから確立まで
金子明雄 笑う漱石―雑誌『ニコニコ』と千円札をめぐって
竹内万里子 ベルナール・フォコンとロラン・バルト
佐谷和彦 瀧口修造実験工房のしごと
石内都  森山大道大野一雄―肌理を撮る
岡村民夫 桑原甲子雄ロバート・フランク―通過者たち
高橋世織 石元泰博とスティーグリッツ
吉村健一 東松照明ユージン・スミス―「物質的言語」と「共感」
高島直之 写真展示のインミュージアムオフミュージアム
小原大司・田中佳太・藤岡紀子 明治大正昭和の[写真雑誌]案内

ユリイカ1984年4月号第16巻4号
写真あるいは二十世紀の感受性


高梨豊 「風景」の彼方へ
内藤正敏 もう一つのカメラ
渡辺兼人 <裏窓>スチュアートカメラマンの幸福それとも不幸福
土田ヒロミ 写真の加算法
鈴木志郎康 見えない肉体の追求
上野昂志 戦争写真から残酷写真へ
松本健一 天皇の写真
南伸坊 飛び道具
北山修 暴露写真
ロラン・バルト 眼の中をじっと
J.L.シェフェール 視線と餌食 アントワーヌ・ウェーバーについて
中村雄二郎多木浩二 うろつく眼差し 写真からの問い
飯島耕一 人情的と非人情的 ブラッサイ奈良原一高
中野収 無垢の眼は消えさり ウィージー断章
大島洋 アメリカの顔 時代の肖像 アベドン論
ねじめ正一 ライオンよりもブタ リサ・ライオン論
伊藤俊治 フェティシズムの黄金 リチャード・マーキン『ベルベット・エデン』
四方田犬彦 人は生涯にいくつの女性性器を見るか
松浦寿夫 スーラ・シュルレアリスト
A.シャーフ 印象派絵画と写真